6月 6, 2011
今朝の天声人語は、先日「声」欄に掲載された投書に対して、執筆者が書き手としての感動と『不安』を吐露している。
その投書は先月掲載されたもので、2年前に他界した女性が、10年以上も天声人語を書き写ししていたという内容だった。この投書は私も覚えている。この投書を読み、私も書き写しを始めよう、といきり立ったのを覚えている。
(今やっているのか、って?ナイショです、、)
手書きでモノを書いていると、あたかも時間が止まっているような、不思議な感覚を覚える。それが誰か、心に思う人に宛てての手紙だった時にはなおさら、まるで目の前にその人がいて、その人と時間と場を共有しているかのように感じてしまうこともある。
「手と心」の一体感、と天声人語に書いてあり、なるほどと思った。手にペンを持ち、紙に書く時に感じる滑り感やひっかかり。そういったモノが「書く」という行為と『書いた物が実体としてこの世に生まれる』ことへの一種の感動とを繋いでくれているように思う。
モノを作る、という行いは感動を心のうちに呼び起こすことがある。その感動を最も手軽に、手近な物で感じられる瞬間が、手で書く、という行為なのかもしれない。
もう少し、ペンを使おう。ペンを使い、心を研ぎすませ、丁寧に言葉を紡ごう。
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6月 6, 2011
今朝の天声人語は、先日「声」欄に掲載された投書に対して、執筆者が書き手としての感動と『不安』を吐露している。
その投書は先月掲載されたもので、2年前に他界した女性が、10年以上も天声人語を書き写ししていたという内容だった。この投書は私も覚えている。この投書を読み、私も書き写しを始めよう、といきり立ったのを覚えている。
(今やっているのか、って?ナイショです、、)
手書きでモノを書いていると、あたかも時間が止まっているような、不思議な感覚を覚える。それが誰か、心に思う人に宛てての手紙だった時にはなおさら、まるで目の前にその人がいて、その人と時間と場を共有しているかのように感じてしまうこともある。
「手と心」の一体感、と天声人語に書いてあり、なるほどと思った。手にペンを持ち、紙に書く時に感じる滑り感やひっかかり。そういったモノが「書く」という行為と『書いた物が実体としてこの世に生まれる』ことへの一種の感動とを繋いでくれているように思う。
モノを作る、という行いは感動を心のうちに呼び起こすことがある。その感動を最も手軽に、手近な物で感じられる瞬間が、手で書く、という行為なのかもしれない。
もう少し、ペンを使おう。ペンを使い、心を研ぎすませ、丁寧に言葉を紡ごう。
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