【書評のような感想文】私の履歴書 – 本田宗一郎 夢を力に #prayforjapan #gmblor_jp

The power of dreams. 夢は夢のままではなく、達成される事を待っている。その夢を達成するためには、自己研鑽が欠かせない。「達成したいな」でも「何もしたくないな」では、夢は夢のままである。まさしく絵に描いた餅だ。

 

その餅を手に入れるため、日々学習と実践を欠かさない人たちもいる。恐らく、このブログを定期的に読んで下さっている方の多くはそうだと思う。そんな方の中には、現在長年の夢に向かって邁進中の方もいよう。その一方で、なかなかうまく行かず心が折れかけてしまっている方もいるのではなかろうか。あるいは、様々な危機の中に立たされ呆然としてしまっている人も、いるだろう。

 

そんなあなたに伝えたい。歴史は繰り返す。今こそ、歴史から学ぶときではないだろうか、と。そのとっかかりの1冊として、今回は本田宗一郎氏の「私の履歴書」を紹介したい。

 

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本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫) [文庫]

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壮大な野望を語り、その実現に向かう進みの先頭に立ち続けた経営者。本田宗一郎氏。戦後の日本の経済成長を支えた1人である。いまやオートバイや汎用エンジンに関して世界一位(Wikipediaより)のHONDA社の創設者だ。その本田氏がどのような幼少期を過ごし、HONDA社の先頭に経って会社を牽引し、会社の成長を見届けた後に引退したのか。当時の時代背景とともに語られている本書は、日経新聞の人気連載「私の履歴書」に2度掲載された文と、本田氏の語録から構成されている新書だ。

 

惚れて通えば千里も一里、つまり、好きなことであれば、他の人が困難な事柄に見える事であっても、本人にとっては楽しいときであったり意義ある時間である。本田氏は経営者であると同時に、技術者であった。開発の先頭に立ち、次々と新しいアイデアを現場に持ち込み、現場はそのアイデアを形にしていく中でHONDA社を発展させていった。「創意工夫は苦しまぎれの知恵」と言い放つ本田氏は、戦後復興時の苦しい状況や数度にわたる経済危機を新しい枠組みを作り、既存の仕組みを書き換え、新しい価値を市場に提供する事で切り抜けてきた。

 

周囲からすれば、大変素晴らしい事だし、すごいことだ。しかし、本田氏は本書の中でこう書いている。「私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎないということも言っておきたい。99%は失敗の連続であった。そしてその実を結んだ1%の成功が現在の私である」。そしてさらには「私の死んでから受ける評価が、ほんとうの『私の履歴書』であろう」とも語り、実績にしがみつくことなく次の夢に向かって邁進し続ける。本田氏は、周囲の人が描く未来のさらに先に立ち、車を作り続けてきたのだ。

 

最初の言葉にあるように、本田氏の事業家人生はまさしく山あり谷ありであった。現在は世界に肩を並べるまでになったHONDA社だが、何度も経営危機に瀕している。そのHONDAがどのようにして起死回生の策を打ち出してきたか、その背景にはどんな時代背景があったのか、そんな中で「オヤジさん」本田宗一郎が何を考えて何を社員に伝えてきたか。本書を通じて学べることは多い。

 

歴史は繰り返す。地震や長引く不況で活気を失いつつある日本。しかし、「歴史は繰り返す」が真であるならば、必ずやこの日本は立ち上がれるはずだ。持ち前の粘り強さ、協調性、忠誠心。日本を支える全企業の社長および社員、つまり全国民が一致団結して危機から脱するために今、奮闘している。その奮闘は必ず実を結ぶ、それを確信し、未来に向かって新しい歩みを踏み出す勇気をくれる1冊である。

 

もし本棚にすでに入っているのであれば、再度開いて頂きたい。そして、行間から発せられるエネルギーを明日に向かうアイデアに変換して頂きたい。まだお持ちでない方、1週間コンビ二でおかしを買うのをやめて本書を購入してはいかがだろう。どうしたらいいのかわからない、暗闇に一筋の光が差し込んでくるはずだ。

 

 

 

 

さいごに。

 

今回の【書評のような感想文】は、地震/津波および原発による被害にあわれた皆さんの力になるであろう本として、本書がふさわしいと考え書かせて頂きました。もし現場の方で読んで下さった方がいて、何かしらの力になることができるとすれば、これ以上の喜びはありません。がんばろう、日本。がんばろう、東北/茨城。

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